巨人を戦力外になったのは2010年。
そんな村田はトライアウトの末、インディアンスとマイナー契約を勝ち取った。
戦力外からまさかのメジャー昇格。
どん底からの苦悩と努力が結果メジャー昇格への切符を得ることとなった。
そんな村田は巨人時代、どんな成績だったのだろうか?

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まずは村田の経歴から紹介します。

経歴 ~小学生から高校生~

野球を始めたのは小学4年生から。
昨今では小学4年生からのスタートは別段早くもありませんね。

元々は外野手でしたが、投手へと変更。
その後、大阪体育大学浪商高等学校へ進学し、秋季大会でベスト8に進出。
尚、大阪体育大学浪商高等学校出身と言えば、コブクロの黒田俊介が有名です。
そんな黒田俊介も野球経験者で、野球にまつわる楽曲も制作しています。


経歴 ~大学時代~

大学は大阪体育大学へと進学。
大阪体育大学出身と言えば、元巨人の上原浩治が有名です。
村田本人も上原を尊敬している模様。
結果的に言えば、大阪体育大学出身で2名のメジャーリーガーが生まれた訳ですね。

尚、上原浩治出身の大阪にある東海大学付属仰星高校は
上原と建山という2名のメジャーリーガーを輩出しています。
東海大学付属仰星高校自体は春の甲子園に1度出場し、1回戦負けをしています。
同じく東海大学付属仰星高校出身で有名なのはラグビーの大畑大介です。

そんな村田の大学時代に右足首の靭帯を切断し手術を行い、
多くの時間をリハビリに費やした大学生活となったが、
それまでの成績を認められ、巨人からなんと1巡目での指名を受ける。
背番号は36に決まりました。


経歴 ~巨人時代~

巨人入りした200年。
一軍での登板はなく、二軍でもぱっとしない成績に終わります。
2009年には巨人にマイケル中村が移籍してきたため、背番号36を譲り渡し、
村田は背番号46となります。

本人の成績が芳しくなかったとはいえ、
背番号を譲り渡すのは屈辱的だったかと思います。

しかし、その2009年にも一軍出場は一度も無く、
二軍でも2勝4敗という負け越しの成績となりました。


そして運命の2010年、過去2年と同様に一軍出場が無いまま、
戦力外通告を受けることになります。


ドラフト1位で入団したにもかかわらず、
一度も一軍での登板も許されずに戦力外通告を受ける。
野球の世界は本当に厳しいですよね。

現在、一軍で出場している選手は皆、
多くの努力と実力でのし上がり、現在の地位を勝ち取っているのですね。


こうして村田は巨人を去ることになります。



経歴 ~アメリカ時代~

2011年はインディアンスのマイナーリーグにて、
なんと3勝2敗2セーブという巨人時代よりも好成績を残します。
そしてチームはプレーオフに出場。
その年のオールスターにも選出されることになりました。

まさかのシンデレラストーリー?


2012年はAA級とAAA級への昇格と降格を繰り返すこととなる。
最終的にはAA級アクロン・エアロズにて3勝1負の成績を残し、
チームの地区優勝に貢献しました。

2013年もAA級とAAA級への昇格と降格を繰り返しつつ、
AA級アクロン・エアロズにて6勝6敗の成績を残す。
負け越していないところが良いですよね。

そして2014年。またもAA級とAAA級への昇格と降格を繰り返すこととなるが、
2014年はAAA級コロンバスで嬉しい初勝利。
5勝3敗の成績を残す。


そして今年、2015年。

ついに6月27日にメジャーインディアンスに昇格することとなりました。



巨人時代には一軍成績を残すことができず、
マイナー時代にはAA級とAAA級を行ったり来たりする中、
とうとうつかみ取ったメジャーへ切符。

村田本人は「やっとつかんだチャンス。とにかくやるだけしかない。いつも通りの自分の投球ができるように頑張ります。」
とコメントしています。



戦力外からの花形への転身。
実力でもぎ取った地位でもあります。

そんな村田を、全力で応援したいと思います。



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